*菊紋解説*
菊紋は、菊の花葉根を図案化したものだが、菊が人間と深い関係を持つようになったのは、かなり
昔からであった。中国では周、秦より舞えの古書に「菊」の文字が見える。
日本には、仁徳天皇の13年に菊が伝来したといわれる。はじめは、薬用として、紹介されたものでもので
、927年の延喜式の記禄にも黄菊が薬用として献上されたことが出ている。紫式部日記にも菊がでてくるが、
まだ文様としては定まっておらず、エリートに愛用されていたに過ぎない。その後後鳥羽上皇が深く
この文様を好まれ、それが代々受け継がれ皇室専用の文様となり、ついに紋章となったといわれる。
徳川時代になって、家康は勲功で紋章を下賜されたが、辞退している。この後紋章下賜はあとをたった。、
しかし、皇室の権威が衰えると、大名、旗本のなかには菊花紋を用いるものも出てきた。しかし、
戊辰戦争で菊花紋の錦の御旗が征討軍の先頭にひるがえると、菊花紋はたちまちその権威を取り戻した。
明治二年太政官が皇室以外にその使用をきんずるに及んで、その権威は最高潮に達した。太平洋戦争
ののち、皇室に対する味方は微妙に変化したが、均整の取れた菊花のフォルムは、未だ我々のイメージに
皇室の紋章としての印象が強いからである。
菊紋の基本パターンは、一つは菊花を形象化したもの。二つは枝、葉、根を図案化したものだが、これら
のコンビのものもある。根を紋としたものを根引菊といい、葉を紋としたものを葉菊という。枝、葉とも
つけたものを枝菊という。