「ひかり園」は、平成6年4月1日に開所しました。
顧みれば大変苦難の道でした。
「大和郡山市手をつなぐ親の会」が昭和39年に発足し、数名の会員でスタートしたのと同時に、「奈良県手をつなぐ親の会」も発足したのです。
その当時は、就学権問題の解決のため行政に働きかけ、障害をもったわが子も学校へ行かせてやりたいという親の思いで、養護学校が設立され、重い障害をもった子供たちに教育を受けることができるようになりました。
次々と養護学校が設立され、折からの養護学校義務化とも重なり、現在では県内4校の養護学校ですべての人が教育を受けることができています。
教育は受けられるようにはなりましたが、学校卒業後の進路がなく、家庭に逆戻りの状況をなんとかせねばならないという思いから、「大和郡山市手をつなぐ親の会」で、働く場として福祉作業所をつくる運動が昭和52年から始まりました。
県下で100円カンパ運動を展開し、集まった浄財で大和郡山市に、県内で2番目の福祉作業所がオープンしたのが昭和54年でした。
その当時はどこからも補助金がなく、親たちでボランティアをしながら内職仕事をし、利用者にわずかの工賃を支払っている状況でしたが、県内にだんだん福祉作業所が誕生し、わずかながら国や県より補助金がいただけるようになり、職員を雇用することができました。
数年後には、養護学校を卒業する人が増えてきて福祉作業所が手狭になってきたので、次をどうしようか?との話が持ち上がり、「大和郡山市手をつなぐ親の会」で検討することとなり、認可施設にしていく方向で、近畿府県の新設施設に見学に行き、大和郡山にふさわしい施設を模索しイメージ致ししました。
問題点は、資金づくりでした。
昭和39年以来、バザー等でこつこつためた手持ち金ではとうてい足りませんので、資金集めについて話し合いを重ね、身銭を切ろうと決議するには時間がかかりました。
資金繰りの目途がたった状況で、大和郡山市行政へ土地の提供をお願いしましたところ、市議会の議決を得て矢田地区の土地を提供していただけることとなり、平成5年に建設に入りました。
素人の親だけで法人格を取得したり、建設業者を選定したりと、目新しいことや難しい問題が山積し、とまどうことばかりでしたが、平成6年3月末に竣工式を迎えた時の、「大和郡山市手をつなぐ親の会」会員の喜びは今でも忘れることができません。
『 なかまと共につどい共に働く 』を、施設の理念として、平成6年4月1日に30名でスタートし、現在13年目に入り、52名の利用者が、毎日元気で通所し働いています。
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