「13年間待った…」T久島せんせのアタック25出場体験記

はじめに
序章 体験記を書くための気合入れ(自分の気持ちを納得させるために…)
第1章 予選前後 「それはある冬の出来事じゃった…」 2002/12/12

【はじめに】 2002/12/8
 
 この奮戦記は、2002年10月10日に収録されたアタック25にT久島せんせが参加するまで、そして当日の模様を、様々な思いとともに書き綴る体験記です。
 また、体験記の中に名前が登場する人がいると思います。もし、名前を出すな!という方がおられましたら、管理人あにじゃまでご連絡下さい。すぐさま対処させていただきます。
 なお、メールアドレスの中の□二つを取り除いてから送信してください。(迷惑メール対策です)
 あと文字がずれる可能性があるので全画面表示を推奨します。

【序 章】 体験記を書くための気合入れ(自分の気持ちを納得させるために…) 2002/12/8
 
 放送から約2ヶ月…2002年12月8日。
なぁーんも変哲もない日曜の午後、突如現れたK曽さまの大活躍に酔いしれていたところ、
とある方が、
「おまえさんもせっかくアタック25の檜舞台に立ったんじゃから,そろそろ体験記を書けぃ!!」
 という優しい言葉をかけて下さった。

 そこで作者は「もうええ加減に書かんならんなぁ」と思いながら、
 「いきまっしょい!」の掛け声とともに鋼鉄製の腰を持ち上げ、 愛用のパソコンに向かったのであった。

 そこでふと作者は思った。

「これを何人が読んで、誰の役に立つんだろう……????」

しかし、次の瞬間。

「まぁ、いいか。書くことに意義がある。」←いきなり納得させてる

 この文章の執筆に先駆けて、いきなりではありますが、これから多大な迷惑をかけることになるに 違いない「あにじゃ」さんをはじめ、関係の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。

【第1章】予選前後 「それはある冬の出来事じゃった…」 2002/12/12
 
 第1節 「インプリンディング=刷り込み」

 予選前の話ということから,まず最初に3歳〜小学生頃の話から進めることとする。
(本当にこの体験記は完結するのだろうか…)←これは管理人も思ってたり(苦笑)。
 そもそもクイズに目覚めたのは父の影響だった。
 3歳頃から「世界一周双六ゲーム」「三枝の国盗りゲーム」などさまざまなクイズの収録によく連れていかれた。
 この刷り込みがわたしに「いつかこの舞台に立ってやろう。」と思わせたかどうかは定かではない(?)。
 しかし,心の中に「クイズの苗 IR8号」が植えられたことはまちがいない事実である。



 第2節 「篠沢教授の気持ちが分かる=連戦連敗」

 まず,アタックの予選に初めて挑戦したのは小学6年生の時である。
 その時の記憶はほとんどないが,覚えているのはカセットテープによる20問の出題があったことと,「応仁の乱」が出たことぐらいである。
 とにかく参加できただけでも楽しかった。それだけである。
 その後も,中学生時代に1回,高校生時代に1回,大学生時代に2回ぐらい(正確さにはまったく自信なし)受けたが,大学生時代に1回筆記に受かり,面接ではじかれるという散々な状況であった。
 (編集部注・後日、T久島先生の学生時代のバイト先における同僚が、このアタック25の中学生大会に出場していたことが判明。えらく、T久島せんせは衝撃を受けたそうである。)



 第3節 (予告編)「さむいさむい2001年師走のあつい1日」

 乞うご期待…せずに待て!…いや,待つのもやめて!
 (はたしてこのペースで頑張っていけるか、乞うご期待(⌒▽⌒;))。



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