西暦換算3490年10月 私の名はラク・ソスチ、この緑の丘の上に住む。 この欅の下でワインを一本空かすのが私の日課となっていた。 秋ももう終わりだ。蓬も枯れ、刈り終えた麦畑の黄金色が広がる。 その日もいつもどおり欅の木の下で、ワインを空かしていた。 2時頃だった。 西の方から若い女が1人歩いてくるのが見えた。 普段若い女性がこんな辺ぴな所に来ることなどないので、不思議に思った。 女は丘の家の前に差し掛かり、欅の袂へ歩み寄ってきた。 女は濃紺のロングスカートに白のブラウス。どうみても、給仕の格好であった。 私が飲んでいるワインに目が行ったのか、女が話しかけてきた。 「私にも一杯貰えませんか」 裏を読もうとしたが、その姿たからなにか全てを感じ取った。 「あぁ、いいよ」と特に興味なさげに声を返した。 女は唐突に「あなたも祝ってください。」と。 尋常でないのを理解した。 「君の名は?」「ここに何をしに来たんだ?」 尋ねると、思ったとおり躊躇なく 「わたしは、フィェーナ・コスタ」「セヴェルから北へ行った町で生まれたの。」 ふふっ と不敵に発せられるオーラとは反する無邪気そうな笑顔を見せた。 女は欅について尋ねた。 「大きな木ね。こんな平原の真ん中に絵に描いたように。」 「これは俺が生まれるずっと前からここに根を下ろしている。」 「開拓時代に誰かが植えたのだそうだ。」 「ふ〜ん・・・」 グラスにワインを注ぐと、女はそっと空かした。 「どうしてここへ来たんだい。」「東へ行くのか?あそこは・・・」 「知っているわ。」女が強い口調で言った。 「東(あそこ)がどうなっているか」 「わたしはここに来たかったの。この平原へ。」 暫く沈黙が続く。 私は察した。 これが初めてではないし、そんな噂が囁かれていることだって知っている。 「何か犯したのか?」その言葉に反応した。 「どうせ行くところがないのだから、ここにしばらく居させてもらえますか。」 中略 挿入予定 「私、ご主人様を・・・。ご主人様を殺して−−−しまったの。」 「大事に私を育ててくれた。−−−でも」 「父の事を知って、私、わたし我慢できなくて。」 「母に、母に似ていると言われた。ご主人様はそれで酷く私を責めた・・・」 「その理由も・・・だから。」 そうか。と感じた。この子も先の独立戦争の被害者なのかと。 「ここへ来たのは、ある人からここに来ればすべての恐怖を失うと聞いたから・・・」 「それは本当だったみたい。」 「今とてもいい気持ち。体も軽く感じる。」 まただ。 私は決して懺悔を聞く牧師ではない。そしてよからぬ噂も。 ただ私はその噂に成り代わり彼女に安らぎを説く代役をせねばならなかった。 「君がここに何をしに来たかは判っているつもりだ。」 「・・・私を諭してくれるの?あなたが?」「わたしにもそんな価値があったんだ。」 ・・・・ 日が暮れるまで、彼女に説いた。 これも、子供の頃にある人からの教わったことだ。 女は諭されたのか、段々と晴れた声になっていた。 「でも自ら犯した罪は、償わないといけない。」 「明日にでも、チェルヴォスの町に行こう。」 「・・・はい。」 「今から町に出ては、深夜になる。泊まっていくといい。」 「あ、 ありがとうございます。」 「ごめんなさい。こんなに親切にしてもらって。私、こんな私にも・・・」 -女が家に入る 居間の暖炉の横に飾られたリーヤ写真を見つけて 「あの方は奥さんですか?」 「あぁ。伴侶だった人だ。」 「だった・・・あ。すみません。」 女もその写真の飾り方に気づき深々と頭をさげ目一杯の哀悼を示した。 しかし、しばらくその写真をじっと眺めていた・・・ 「・・・・・」 女がぼそっと発したのに気づいた。 「うん?今何か言ったか?」 「いいえ。何も・・・いえ」 夕食をとらせ、 その夜は、リーヤの部屋に彼女を泊めた。 翌朝、何か重い空気で目を覚ました。 体中の毛穴が逆立つような感触。腕に鳥肌が立っていた。 私はなぜ、こういったことに敏感なんだろう・・・ 自分が恨めしかった。 昨日の時点で、彼女の本当の目的は理解していた。 自分が悩める人を救済できると思い上がっているわけでもない。 だが、私はそれを可能な限り回避しようと努力したつもりでいた。だが力及ばなかった。 幾度も責め苛まれた慙愧にいたたまれなくなる。 もはやこの家の中には彼女は居ない。 欅の木は、魂を失った器をそっと抱えてたたずんでいる。 「約束を破るつもりはありませんでした。」 「でも私がここに来た不変の目的は、これだったのですから。」 「最後にラクさんのような人に出会えて本当に良かったです。」 「わたしには、そこへしか行くところがないのだと」 原作:1992/8/28 補修:1992/12/18 清書:1993/8/9 編集:2005/12/24 ※注 フィェーナ・コスタ Fiena Koster 生:3467/09/13 没:3490/10/15 セヴェル(Север) 52領国の東端の都市、小麦などの穀倉地。蓬など香草類の産地 湾岸から約2000kmの内陸にある。 交通手段はオランジスタンクからの陸路が主流。 東部都市チェルヴォルまでは、空路も。