西暦換算3491年夏 7月も初め、私の元に一通の手紙が届いた。 「私はサラムで、精神科を担当している医師で、フェルマと申します。 先の独立戦争で、あなたの部下であった、コッシャー・カデル氏を、 社会復帰の一環として、あなたの元で療養させてもらえないでしょうか?」 彼は、私と共にライフルを構えた仲だけでなく、同郷で階級は違えど同期であった。 彼は9年前のカラム工場爆発事故のとき、現場で救助に当たってた。 その後、精神的な異常をきたし長く療養をしていたと聞いている。 「ご家族からの再三相談を受け、さまざまな施術をしましたが、 依然殻を閉ざしたままで、アナリストの診断では 先の独立戦争時のトラウマが今回の症状を引き起こしているのではとの 診断が出ています。 今頼りにできるのは、元上官であったあなただけと感じる次第です。」 その日の内に返事を出した。 もちろん彼を引き取ると。 それから二週間後、再び手紙が届いた。 彼が到着する前日、出迎えるために町へ買出しに出た。 彼は鳥料理が好きで、エストラゴンのたくさん入ったのが大好物だった。 子供の頃、焼きあがった鶏とエストラゴンの香りが夕食の合図だった。 当日、天気もよく乾いた昼過ぎの西の森から、車がやってきた。 その車はいかにも病院の車というそれではなく、ごくごく一般的なセダンであった。 彼と担当医のフェルマ氏、そして看護婦。 看護婦がコッシャーの肩を支えながら車から降ろした。 彼は、とても虚ろな目をしていた。なにかにも無反応な感じであった。 コッシャーを寝室に寝かせ、その場は看護婦に任せて、 居間で医師と2時間くらい彼の容態について話し合った。 夕刻、コッシャーの家族から送られた生活用品一式を残し、 車は日暮れの西の森に戻っていた。 そしてコッシャーを南の庭のベンチに座らせた。 彼が私を認識しているのは理解できた。しかし言葉は発さない。 倉庫から、あるものを取り出してきた。 制圧用の手榴弾(グラナト) 相手の足止めをするための殺傷力の極めて低いヤツだ。 彼を昔へトリップさせるために・・・ 100メートルほど離れた耕地の中にそれを置いた。 狩猟用ライフルでそれを狙った。 ライフルの銃声と間髪入れて発せられる重厚な爆音。 家の日取窓がミシミシと震える。 その途端、彼はカッと目を見開きベンチから転がり落ち、身を構えた。 彼は私を目視するやいなや、私を押し倒した。 「伏せてください。敵はすぐそこに!」 「・・・コッシャー」 私は唖然とした。コッシャーの中では今現在もあの戦争が続いているのかとそう思わざるを得なかった。 息を殺していた彼は、次第に呼吸を整え周りの状況を懸命に理解利用としていた。 コッシャーがこの状況を飲み込めるのに1時間ほど掛かった。 安定を取り戻した彼は、工場で働いていたときと同じく、ごく友として振舞うようになっていた。 だが、自分が、事故後精神科に収容されていたことは一向に理解できないで居た。 そんな状態が数日続いた。 そんなある日の昼食、ふと彼が言った。 「子供の頃よく戦争ごっこなんてものをやって喜んでいたな。そうしたらおまえが必ず指揮官か隊長だった。」 「戦争なんて目の当たりにしなかった俺達はあの戦いのときどれだけ迷って悩まされたんだ。」 「友が横で死に、照準器の先で敵兵が倒れていく。」 「何度友の識別番号をお前に報告したか・・・」 「でもお前は淡々としていた・・・なんでだ?なんで今こうやって、普通の生活をして生きているんだ?」 「教えてくれ。どうしたら・・・」「どうしたらこの戦争を終わらすことができるんだ?」 そのとき私は彼が実は正気に戻っているように見えた・・・ <<人間としての正気に>> しかし、彼の問いに答えを返すことが出来なかった。 なぜ自分がそのとき、報告されてくる識別番号を軍令部からの気象情報のように淡々と処理していたのか。 そんなことを言葉に表現できなかった。 <<私が人間としての正気を失っていたのでは・・・>> そんな思いがよぎる。 「もっと話そう」私は明確な答えを返せなかったが、 彼とこの戦争で得たこと、失ったこと、お互いのその後のこと、すべて洗いざらい話し合った。 私はすこし嬉しかった。しかし、あの戦いのことを思い出し、それを見つめなおさなければならなかった。 療養期間最後の日、彼はすべてのことを話した。 「工場の火災は、私がちょっとした手違いで起こしてしまったものだ。」 「火災、それだけならまだしい。」 「その火の中で揺らぐものが見えた。それは人だった。」 「本当にそこに人が居たのかは今となっては分からない。幻だったのか。」 「でもその時、脳裏にあったあの戦争の影が溢れ出してきた。そしてそのまま呆然と立ち尽くしていた。」 「消火せず立ち尽くしていたせいだろう、次の瞬間強烈な爆風が襲ってきた。」 「気が付いたのは、病院のロビーでだ。」 「おびただしい負傷者が廊下で手当てを受けていた。」 「もはや息のない者が、毛布をかけられ整然とホールに並べられていた。」 「自分のミスだ。私の責任だ。」 「私は償わなければならなかったのに、逃げてしまった。自分自身の中に。」 その日の午後、フェルマ医師が彼を迎えに来た。 経過は逐次報告していたが、小一時間ほど医師と彼の今後について話をした。 「実は、彼には例の事故の過失罪の容疑があります。 事故の生存者が、彼が火元で消火活動もせず立ち尽くしているのを目撃していますので。」 「当局として彼自身による証言を取る必要があったのですが、 その後完全に殻に閉じこもってしまった。」 「もし、本当に彼の心が開放されたなら、今後の審議が進むでしょう。」 「コッシャーを裁くことで、何が得られるというのだ。」私はすこし興奮していた。 もちろん、彼を預かった目的を隠されていたこともそうだが、友を守りたいという感情からだった。 「彼自身を責めても、どうなるというものでもありません。 事実関係こそが求められているのです。」 「あの事故で亡くなった方もおられるのです。残された家族もあります。」 「国は労災手当てを給付して、遺族との問題は終わっていますが、 事故の真相は究明される必要があります。」 「10年という重い時間。それを終わらせるのが、彼なのです。」 「では、証言したらコッシャーはどうなる?」 「もし、故意にやったということが判明すれば極刑でしょう。 過失であっても非常に重大な刑になるでしょう。 まったくの落ち度がないのであれば、彼は解放されます。」 私は悩んだ。 彼は私に自らの過失を認めた。 だが、私が彼をどうにかできる立場でもない・・・ このまま引き渡すしかないのか。そんな無力感が襲う。 「それでは、コッシャーさんを引き取らせてもらいます。」 「はい・・・」「支度をさせます。」 寝室にまとめられた彼の荷物を運び出し、 南の庭で待たせてたコッシャーを連れて、玄関へ回る。 「それでは、コッシャーさん。」 「ラク。ありがとうな。」明るく振舞おうとする彼に、ただ手を振るだけで、 声を掛けることが出来なかった。 夕闇に飲み込まれるように、車は西の森に飲み込まれた。 独立戦争の時には、抱かなかった感情に襲われる。 「何なんだ。この、この空虚感は・・・」 ひと月後、ニュース放送で知った。。 カラム工場爆発事故の証言で、 コッシャーは法廷で自らの過失を認めたという。 しかし、彼はその後再び自らの殻に閉じこもってしまい、 精神病棟に隔離され後、自ら命を絶ったという。 原作:1993/2/8 清書:1993/8/9 編集:2005/12/25 加筆:2007/5/6 ※注 コッシャー・カデル Kosser Cadell 生:3455/05/19 没:3491/08/10 ピエール・フェルマ Pierre Fermat 加筆時にそれまで無名だった医師に名前を付けました。 名前響きは「降矢木」から連想して採用しました。 もちろん、サイキックディテクティブの。 サラム Salam カラムから西に50km程の町。 元々小規模の農村であったが、 カラム鉱山の労働者の住宅街として拡張された。