西暦換算3491年秋 10月 西の風が強く吹き出した。。 草木を枯らす風とともに一通の便り。 私の名は、ラク・コスチ 紅葉した欅の葉で隠されたこの家。紅い射光は幾本の線に分たれ、そのうちの一筋がやっとの思いで 私を照らしている。 もう10時だ。私は急いで支度を済ませた。昼に家を出た。 車でセヴェルまで独り道を進む。 麦の実る道・・・ 明後日、52で終戦記念日の会合が行われる。それに出席するため、 儀礼用の軍服に装身具、勲章を収めたトランクを曳いて。 52は鉄鋼産業で栄えた都市であり、52領国首都である。 そして、そこに独立戦争時の統帥本部があった。 セヴェルからチェルヴォスへ出て車を停める。 戦友と待ち合わせをしてから夕食を摂って、 17時半のオランジスタンク行き夜行バスに乗る。 翌朝5時にオランジスタンクに到着。そして7時発の52行き高速列車ブローツキー号に乗り込む。 カラムを通り、ローニスト、そして目的地である52に着いたのは昼過ぎだった。 軍部養成学校の跡地は、戦勝記念資料館となり、独立の象徴となっていた。 ホールには各地から到着した戦友達がすでに集まっていた。 けれど、私は訃報を抱えていた。それはコッシャーの死だった。 7割方はニュースでそのことを知っていたが、国外へ出ていた者など、 残りの友は一様に驚きを隠せないで居た。 対戦車ライフルを背負い、雪原を駆け回った我々は、 雪の狐尾(Снеговая Лисий Хвоста)と呼ばれていた。 (スネゴヴァーヤ リシィ ホヴォスタ) 「狼の牙でなければ、狐の尻尾で」という諺から付けられた部隊。 力で以って勝てないのなら、作戦でという意味合いだ。 総員872名 戦死531名 生き残りは、すべて存命で、多くが毎年此処に集まった。 だが、今年は初めて物故者が・・・ 倒れていった531名の命。 半数以上の仲間が命を落とした。だがそれだけの価値があったのだ。 今まではずっとそう思うことで、自分を納得させていた。 無線で伝えられた、識別番号も。そして個々の遺族へ伝えたときも、 国を独立へ導いた誇りが私を毅然とその場に起立させていたのだ。 翌日の式典の後、サラムへ立ち寄った。 そしてコッシャーの眠るところへと向かった。 彼には妻と、二人の子が居た。 家を尋ね、悔やみの言葉を交わした。 「先日の出来事は、大変その・・・」 どうも上手く言葉が繰り出せない。 同じ部隊の遺族に形式的に戦死を伝えていたあの時とは違った。 「入隊中も、コスチ殿には色々ご迷惑をおかけしました。」 「主人は、あの人が昔色々とコスチ殿から教わったと聞かされていました。」 「こういった場合うまく言葉を交わせないものです・・・」 「あの人が、そして皆さんが残してくださった、この平和のおかげでこの子達が幸せに生きてゆけます。」 「どうかあまり主人のことで、気を揉まれないようお願いします・・・」 彼女はコッシャーのことを、しっかり受け止めていた。 「この子達にも、主人のことを伝えてゆくつもりです。立派な父親だったと。」 毅然として対応した彼女はコッシャーが抱えていた悩み全てを、理解していたのではないだろうか・・・ そんな気がした。 いつかリーヤが 「あなたが、平和を残していなかったら、私達は決して出会うことはなかった。」 「だからあなたにとても感謝している。」 そう言っていたのを思い出した。 コッシャー・カデルの墓は、乾いた西風に晒されていた。 その西風とともに、私はサラムを後にした。 原作:1993頃 清書:1993/10/29 編集:2005/12/26 ※注 高速列車ブローツキー号 Бродский カラム鉱山鉄道の運行する高速旅客列車の名称。 オランジスタンク−52間でカラムのみに停車する。 直線区間では200km/h近い高速運転を行う。