スヴェト暦47年12月・・・ 西暦換算3489年 人の吐息すら憚られる、そんな透き通った大気が支配するこの大地。 凍てつく風に一枚も葉も残すことは適わず、 ただただ寒さに耐える裸の木々が連なる。 父に連れられて、子供のころからよく通っていた。 ーーーブレを抑えるためにはこうするんだ。 ーーーそうやって息を整えるんだ。 「あの年の冬を除いて」 斜面の窪みに僅かに枯葉の積層が顔を見せ、 私はそこをただひたらすら凝視していた。 「あの冬と同じように」 ーーーライフルと体が一体になり、体は大地と一体になるんだ。 ーーーおまえは狐だ。お前は尾がある狐だ。 ーーー白銀に潜む獲物を見つけ出す狐の目と、あざとい尾がある。 かれこれ小一時間ほどだろうか。 降りしきる雪が、掘りおこしたバンカーを再び埋め戻そうとしている。 腰の辺りまで新雪が押し寄せている。 このまま、私をこの森に還すように。大地と一体になるように 深く息を吐いた次の瞬間。全身で獲物を感じた。 そっとトリガーを絞る。 はたりとテンが顔を覗かせる。 一瞬の身の翻しと、そして寒山に幾重にこだまするハンティングライフルの雷鳴。 窪地の対の雪原に弾き飛ばされた塊は、そのまま微動だにしない。 ーーー毛皮を採るには最も基本の作法だ。 弾は、確実にテンの眼を左右に貫いていた。 私は、ラク。ラク・コスチ。 子供の頃、祖父や父に連れられて狩に来たこの森。 その近くの丘に住みはじめてもう6年になる。 今年の春、伴侶に先立たれた。それ以来この丘の家も、私の心ももはや生彩を欠き、 全てが空ろになっている。 ただ、この一日。ただ無為の一日。私には徒刑(ずけい)のような一日。 朝食を済ませ、部屋の清掃をしていた。 そして、本棚の前で、ひときは丁寧に保管してある、本を引き出した。 私には解らない言葉で書かれた本・・・ 国境線緩衝地帯にある山。 150mほどの小高い丘の西向き斜面にバンカーを掘り、ただひたすら獲物を待っていた。 1時間、2時間・・・いやもっともっと長くだったか。 得物にすえられた照準器は軍用の特製。狩猟用のそれとは精度からして違う。 凍結防止にオイルヒーターを組み込んだバレル。 強烈な反動を受けるために、地面にアンカーされた架脚。 その口径はテンを仕留めるにはあまりに大きすぎる。 弾倉に入れられた弾は、徹甲焼夷弾 西日に照らされ、僅か陽が山にかすれた頃。 斥候から連絡が入る。40台から連なる装甲部隊だった。 陽が完全に落ちたときに、私たちが待ち構える山の袂の峠に入ってきた。 先頭を行く装甲車を足止めする地点に照準を合わせる・・・ 私の一撃が、すべての合図となり、狐達の狩が始まる。 いつものように、息を整え、大地と一体となる。 (てぇっ!) 心の中で叫び、 この斜面が表面に積もった新雪で一斉に煙った。 着弾を確認するより、すぐさま第二弾の装填を行い、体勢を整える。 照準器の先の獲物は一撃で大破していた。 時差で爆音が響き渡った。 それを合図に集中砲火を受けた後続の装甲車が、次々に炎上してゆく。 ・・・キューーーーーン 高い音を鳴らし、後方支援を確認する。 足止めを受けた後続の上空、4,50メートルで放射状に広がる黄色い星のような輝きと白煙。 一瞬で周囲の雪原を煤で染めた。 敵主砲による応戦を受けるまもなく、装甲車は大破・沈黙していった。 散発的に敵兵と交戦が発生したが、すぐに鎮圧された。 そのまま戦闘不能に陥った捕虜の収容にあたった。 我々の元には、50などの義勇兵站から強力な火器の提供があった。 それを使い、より少ない力で効果的なゲリラ戦を得意としてきた。 「雪の狐尾部隊」それが私達の部隊の名前だ。 この狐が相手にするのは、ウサギではなく狼だ。 私は志願してこの戦いに臨んだ。そして幸運に終戦を迎えることができた。 このライフルの腕を生かすことが出来ると思って。 そして私は過酷な狐尾部隊の対戦車ライフル狙撃手となった。 「コード3 ヴァトゥーチン(Ватутин)応答!!」「・・・・」 「コード21 ウラーゾフ(Уразов)応答!!」「・・・・」 年が変わり、まだそれほど新年の気分が抜けきっていなかった日、 その日は長い一日になった。 早朝、2つの観測部隊からの連絡が途絶した。 「こちらジフコフ(Живков) 、、ガズッ・・・ ガ、シュウ・・ヲウケている。こちらコード8 ジフコフ。」 「敵から砲撃を受けている。見たことのない・・・どうも新しいタイプの・・榴弾のようだ。」 「ドゥム・・・ガ・ガガ・・・」 「コード8!!応答せよ!コード8」 また1つ、昼過ぎに観測部隊からの連絡が途絶した。 私はこのとき、後方に設営された仮設指令所にて前衛の指揮の補助に当たっていた。 「どうも、狐狩りの専門部隊が来たようだな。」カイスル大尉が知ったように言葉を吐く。 「コスチ、今送り込まれてきている部隊は、ゲリラ専門の部隊だ。」 「私が50の独立に加わったときも見た。そのときより修練されている。心しておけ。」 カイスル大尉は52出身だが、50の独立の時に義勇軍に参加しゲリラ戦を戦った。 この独立戦争において、50の経験を生かし強襲部隊である雪の狐尾部隊を指揮している。 15時過ぎ、敵前衛が後退したことが確認された。 敵の後退を確認し、各小隊の守備地点巡回に向かった。 大尉が他の兵士に聞こえないようそっと話しかけた。 「なぜ今回の作戦でお前を後方に置いているか判るか?」 「い、いえ。」 ふっ と吐き「お前を温存しておきたんだよ。」 「本当に能あるものを、全滅するかもしれないところへ送るわけにはいかんからだ。」 「・・・それでは、今前線に出ている彼らは・・・」 「俺はお前を見込んでいる。お前の腕は貴重な戦力だ。」 「彼らには観測としての重要な任務がある。全滅が予想されるところへ駒は置きたくない。 だが、そこに駒が無いことで重要な主戦力が危険にさらされ失われることはあってはならない。」 「この部隊にとって、お前を含め狙撃手は失ってはならない戦力なのだ。」 普通士官がこんなことを話すことは無い。 だが大尉は、私を見込んでくれて、こんなことを言ったのだろうか・・・ 大尉はこういった戦略的なことをよく私に語ってくれた。 「すこし犠牲が多かった。申し訳ない・・・」 「50以降、狐狩りも練り直されたということか。」 交信が途絶えた地点を巡回する。 「この榴弾も新しいタイプだな。」 「おい、そこ。不発弾がないか慎重を探せ。」 大尉が同胞の遺体を見つけ言った。 「傷を調べろ。」「体内に断片が残っていないかだ。」 私は次々運ばれてくる遺体から認識票を集め、名簿と照会してゆく。 そして指令本部へ打電した。黙々と37名の番号を。 負傷兵からの聴取も行われていた。 その中にコッシャーの姿もあった。 コッシャー・カデル 子供のころからの友人だ。 お互い思いを同じくし、この戦いに身を投じた。 彼の元に駆け寄る。 「生きてお前に合えたな・・・。くだらない傷を食らった。」 「しばらく得物を持つことはできそうにない・・・頼むぞ。」 体の震えと裏腹な態度は、目いっぱいの恐怖を受けた為か・・・ 「はぁっ、ぐぅ・・・・・ 」 奇声にもならない、肉体的な痛みとは違ったところからの叫びを上げながら搬送されていった。 「コッシャー・・・」 「・・・彼はダメかもしれない・・・」ぽつっと大尉が漏らす。 「50の時も、そのまま日常に戻れなかった兵士が居た。」 「その兵士を見ているようだ。」哀れな目で搬送される彼を追う。 「仲間が、故知が倒れてゆく。そんな戦場で平気で居られるには、何かが必要だ」「解るか?」 「・・・」「いえ。解りません・・・」 「実を言うと、俺にも解らない。ただ、俺がその素質を兼ね備えていたんだと。」「それが答えだと思っている。」 「俺は、お前もその素質を持っていると感じている。」 「照準器の先で敵兵が倒れ、横にいた仲間が狙撃される。一歩でも歩みが遅かったり、早かったりしたら、 そこにある骸は、自分だったかもしれない。」 「そんなことがあった後でも、「生き延びたこと」なんかじゃなく、次の戦闘でいかに戦って打ち勝つかを考えている。」 「戦いが終わってから、生き延びたんだと実感する。」「俺の戦いはそうだった。」 「俺も最初は、国のため、家族のため、愛する者の為だったかもしれない。」 「だが、戦地に身を置けば、勝つことを考えなければ、次の目覚めは無い。」 「誰か仲間が戦死しても、その局地を乗り切ることしか考えていなかった。」 「それが生き残ること、そして戦死した者への酬いだと。」 「いつまでも、その切り替えが出来ずにいる者は、戦争が終わっても不幸な未来しかない。永遠に悪夢からは抜け出せない。」 「俺が50で感じたことだ。」 「いいな、戦場で女の顔なんか思い浮かべるなよ。」 翌日、大尉が部隊を再編した。 「この戦いが始まる前夜から、私は狐尾部隊の編成を計画し、今日に至った。」 「われわれは、「狼の牙には、狐の尾で」との諺にあやかり、部隊名にした。」 「正規部隊からは姑息だと罵りを受けたとしても、誇りを持て。われわれには戦う為の知恵がある。」 「皆も知っての通り、この知恵をもって、侵入した敵を領地内で強襲し、多々スヴェトの侵攻を防いできた。」 「我らは今日まで、52領内が主な戦地であったが、今回国境を越える。」 隊員がざわめいた。 「彼らは、我々の活動が国境線を越えないことを知っている。」 「昨日の戦闘で、改めて敵にそれを知らしめた。」 「しかしここに来て、敵の対ゲリラ部隊も練度が上がり、脅威が増しつつある。」 「だが、一気に我々の優位を高める状況が出来た。」 「斥候が敵補給部隊の中枢の所在を確認した。」 「その部隊と強襲部隊が合流する動きが確認された。」 「犠牲も大きいかもしれないが、我らは越境し合流する前にこれを落とす。」 さらに動揺のざわめきが広がる。 「この補給部隊は、今前線で停滞している敵主力機甲部隊への重要な支援物資であり、 これを叩く事で、52の前線が有利になる。」 「もちろん、敵もその重要性を認識しているが故、対ゲリラ部隊を投入し、警護にあたると思われる。」 「52領内に入ると、この補給部隊を落とすのは非常に困難となるだろう。」 「我々は国境緩衝地帯を明日の夜越える。明日の気象予報は雪だ。」 「夜が明けたとき越境した航跡を発見される可能性も低くなる。」 「そのまま敵領内へ潜伏し、補給部隊の移動を待つ。」 十分な勝算があっての作戦ではなかったと、私には語ってくれた。 しかし、隊員誰もがこの一戦にという思いから誰しも士気が高まっていた。 私たちは、火器を曳き緩衝地帯手前に潜み夜陰を待った。 真っ暗な闇の中、遮光ランタンで照らしたコンパスと、前を行く者の足跡を頼りに、 ひたすら北西へ向かった。 翌朝、無事越境に成功し、皆一様に安堵の表情を浮かべる。 そして日が高くなる前に、森へと潜り再び夜陰を待ち、奥地奥地へと進んだ。 3日目、無線が入った。 残してきた分隊が52領内側で敵強襲部隊の攻撃を受けているという報告だった。 「分隊には本隊の行動を悟られないように頑張ってもらわねば・・・」大尉が深く息を吐いた。 翌日、我々は幹線路沿いの狙撃に適したポイントを見つけ、襲撃に備え隠遁した。 それから何日だろう。 低出力無線で、連絡が入った。 「斥候からの連絡だ。」 「現地点から400kmにて補給部隊発見。60km/hでこの幹線を移動。ただし重装備の護衛多数。」 「6時間半後に接触か・・・」 「各員、装備の点検と、カモフラージュの再確認!敵の偵察に警戒せよ。」 1時間もしないうちに、無線が入る。 「エアクラフト確認。282度方向。推定高度800m。」 「各員、静止せよ。」 誰もが凍る。 じっと息を潜める。 ブゥオーーーーン・・・・・ 幹線に沿い、偵察機が通り越す。 「行ったか?」「電波発信はあったか?」 「いや、通常電波のみのようだ。」 見つからなかったようだ。 みなふと緊張が解けた。 後はただ、補給部隊が通るのを待つだけ。 14時を回った頃、我々は接触した。 今までと同じく、引きつけての一斉攻撃。 だが、護衛部隊からの反撃も苛烈を極めた。 私の率いる小隊は皆が隠遁していたところとは離れたバンカーで獲物を狙っていた。 狙いは指揮車両だった。 100台以上からなる隊列から、それを探した。 「あれだ!」 隊列のやや後方で前衛の様子をハッチから身を出して窺っている仕官が居た。 スコープ越しに胸の階級証を確認した。 「彼だな・・・」 ズガッ・・・・・ ターン ・・ターン こだまが響くと同時に指揮車両が小破する。 それと同時に周囲の装甲車も被弾してゆく。 ズムッ・・ バンカーの近くに着弾。その後も激しい砲撃を受ける。 その合間合間に我々も応戦する。 戦闘開始から、1時間。 形勢は有利であったが、いまだ散発的に抵抗を受けている。 こちらも弾が尽きかけて来た。 「コスチ、そちらの状況は?」大尉からだ。 「徹甲焼夷弾の残数は30。一台ずつ狙い撃ちしてギリギリです。」 「前衛もかなりやられている。すでに強行突破した車両もある。」 「護衛がかなり手ごわいが。まだ勝機がなくなったわけではない。」 「これ以上長引かすと、敵の火力支援が来る。」「次の迫撃砲を合図に、突撃を行う。」 「諒解した。」 「幸運を祈る。」 ライフルを抱え、一気に谷を下った。 それから3日、スヴェト領内に我々は孤立していた。 日に3,4度エアクラフトによる威力偵察が行われていた、、 4日後の朝、中継から連絡を受けるため、無線の準備をしていたときだった。 無線機ではなく、ラジオから突如放送が流れた。 「スガ・・・・ッ 」 雑音の中にスヴェトの政局放送の伴奏が流れる。 「52領方面の各戦闘員に告げる。直ちに戦闘を停止せよ。スヴェト軍は停戦協定を発効。52領より撤退を開始した。」 「繰り返す。52領方面の各戦闘員に告げる。直ちに戦闘を停止せよ。」 私と大尉はラジオに駆け寄った。「全バンドで発信されている。」「これは・・・」 放送は続く、 「昨日午後9:00 スヴェト共和国全軍指揮と52領臨時主席との間で停戦調停を取り交わした。 今朝、スヴェト共和国政府総頭首 ヴィクトール・フリーチェによる御璽(サイン)を得、本日午前10時をもって発効した。」 「繰り返す。52領方面の各戦闘員に告げる。直ちに戦闘を停止せよ。」 憔悴しきった者達の中から誰かが叫んだ。 「我々は、勝利した。独立を勝ち取った!!!」 誰もが目に色が戻り、歓喜に沸き立った。 帰還の途、大尉は私を呼び出し語った。 大尉はやや複雑な表情を浮かべていた。 「コスチ。私は軍を除隊し、このままスヴェトに行く。」 「えっ。」大尉が何を言っているのか理解できなかった。 「スヴェトでやらなければならないことがあるんだ。」 「いや、スヴェトでなければ出来ないことがある。」 「コスチ。そんな私を貶してくれもかまわない。 だが、私が失った大切なものの代償を、償わせて貰わないと私の戦いは終わらないのだ。」 「すまぬな。」 私は、大尉が何の償いを求めているのかは知らなかったが、悲痛と思える感情は伝わった。 「この本、お前に預かってもらいたい。」 私に一冊の古びた本を手渡した。 「フルトの本ですか・・・」 それは、フルトの神話の本であった。しかも、要所要所に知らない文字でメモが書かれていた。 「そうだ。」 「スヴェトには、全ての過去を消して潜入する。そして、必ず52に帰ってくる。 そのときに、この本が必要になると思う。それまでお前が預かっていてくれ。」 大尉の確固たる自信を信じ答えた。 「はい。確かに預からせていただきます。大尉が、無事52に戻られるその日まで。」 52に帰還したのち、夏の訪れと同じくし、52はスヴェトより正式に独立した。 ・・・あれから13年。 まだ、大尉が52に帰ってきたという噂は聞かない。 預かった本は、本棚で本来の持ち主を待っている。 原作:1992頃 編集:2005/12/27 加筆:2006/02/19 加筆:2006/05/10 加筆:2007/04/16 ※注 創作の原点: 雪原を、対戦車ライフルを携えて駆け巡る兵士のイメージが最初にありました。 リベリオンの世界観の中で、その兵士の戦った戦争の全景を考えるうちに、 独立戦争という題目が出来ました。 52領の独立戦争。 最初の構想では、圧政からの独立という単純な意義の戦争を創造していました。 しかし、フルト人研究にからめた裏取引など、単にラク・コスチの所属した狐尾部隊の活躍といった 軍事的な面だけで独立を果たせたのではない点。 そういった複雑な関係にしました。 そしてこの話の後日談として「逃避」があります。 さらにリベリオンのシダン編につながります。