空虚なる語録


創作した作中で使用している、使用するつもりだったフレーズの抜き集めです。

別に自分が仙人や教祖さまになった気分で、他人を諭すつもりはありません。
あと、ワープロで印刷した原稿をOCRで読み取っているので誤字が結構あります。

1993


 暇に悩むのは幸福な印でも、不幸な印でもない。ただ心に本望が無いだけだ。


 絵を見て何か1つでも批評出来なければ、見る目が無いことを表す。


 顔は全てを表する、秤。例え良く見えても、醜き心を持てばどこかに悪しく見えるところが有る。例え醜くても良しあらば、決して悪は見えない。


 文明とは自惚れの頂点にあり、自惚れとは自信と希望に根あり。


 感情は作りだされたものであり、それが常に正しく導くとは限らない。


 死は産まれることより重大てあり.誰もが梧れないものである。


 運命をひも解くことは誰にも出来ない。そのことを考えなければ、もしくは知らなけれぱ何も気にせずに生きてゆける。


 広く心を持ち、常に灯を持てば、壁に当たることはない。


 全うとは、一生のうちに一度も灯を絶やさないことである。


 灯とは、渇愛することでは無く、架空・仮想のものをも慕える気持ちである。


 一生涯とは、目先の暇を埋めることである。


 適度な知識は人を幸せにし、過度の知識は人を不幸にする。


 哲学は猿を人にした。

 哲学は白然を故にした。

 哲学は人を不幸にする。


1994


 人は何かと過去を振り返ってはとやかく言いたがる。

 必要以止に過去を振り返ると、進む道を失う。

 過去の過ちのみを改し、次に踏むべき足場をしっかりと構築しなければならない。


 人に発展は必要か、何故、発展したがる。


 圧迫のない貧しさが、人にとって一番幸せではないか。

 毎日三食腹八分食えて、布団で寝れたら良いではないか。


 物より満たした欲求は時と共に消える。

 心により満たした欲求は時と共に肥大する。


 一つの枠が自負すれば、その枠は・・・


 人が差別をしたがるのは何故か、それは一人一人が自尊するからに他ならない。

 だが、受ける側。つまり、何なりの困子を背負っている人間にもそれらの罵蔑に対しての抗力を持たねばならない。自らのなりや生い立ちが偶然でなく、選ばれた者である自覚をせよ。

 ちんぱのウーフニックを知っているだろうか。

 ユダヤ信仰の中にそれはある。片足がなくとも、世界の柱の一つとしてこの世を支えている。それは障害を持って産よれた者や負ってしよった者との共有、敬いを失わないための手段であると私は考える。耳に障害を持つ人を「聾」という漢

字で書く。それは例え聴覚が無くても、他の能力を引き出し、常人より優れた能力を得ることが出来る。つまり、竜の様な霊的な力を得ることが出来る事を表しているのではないだろうか、

聾、盲、蹇・・・それらの漢学は辞書にちやんと載っている。それらの文字は差別されるために作られたのだるうか。それらは疾、癌・・・などと同じで症状を表したものだったはず。だが、そこに優劣の差を生み出す自尊が存在したた

め、そう云う差別が産まれたのだるう。

 「言霊の幸(さき)わう国」と我々はこの国のことを呼んていた。今そのことは忘れ去られたかのように思われる。そしてそれらの文字は決して忘れたり.消してしまったり、蓋をしてはいけない。


 一日で百を知る喜びより、一日一つずつ憶える喜ぴ。

 知るとは受であり、憶は態てある。


 「イントレランス」より

 ゆりかごは絶え間なく揺れ過去と末来を結ぶ。

 悲しみと喜びを歌い上げながら。


 恋は忘に似ている。


 人の欲求は現状との落差である。


 人間は性(さが)がある以上天道を進むことは出来ない。


 路に空いた穴を塞ぐ事が人にとっての生き甲斐である。


 路が有ってこそ地図である。


 無性主義(むしょうしゅぎ)は大地の中心主義である。


 私はレイヤを本当に愛している。

 例え体を無くしても心のなかに灯としてちやんと存在している。


 欲望と幻減は常に共にある。


 悟りを求めるには実社会への幻減が必要である。


 生涯に一度たりとも幻減せぬものは不幸なり。


 無性の心。性(さが)に対する幻減、失望である。


 性(しょう)有るものは鼠算式に欲を積もらせる。


 恋は戯曲であり、常にシナリオが有る。


 人と人とが、相理解し合うには宗教の無い世界が必要である。


 過多なる神の誕生は地軸を狂わす。


 換成(性) :かんせい、かんしょう

 ・・・性(さが)を捨て、無の心を持ち、安定した基盤を持つこと。


 人が成し得る最大のことは、自然に帰すこと。つまり肉体的死。

 人が造り得る最大の物は、 子孫である。

 人が貫き得る最大のことは、真理(真実)の尊重である。

 人が生涯成し得ないことは、真理(真実)の探究である。


 「愛」は言葉でしかなく、それ自体には言霊は宿っていない。


 障害を負っている者が必ずしも差別を意識しているのだるうか。

 彼らは一生懸命に生きている、そして差別に対する抗力を持っている者も多い。

 そんな彼らを(偽りの)学者や識者が人権がとうのこうの、差別だこうのと語るが、自立の努力をしている彼らに対する劣視の表れてはないだろうか。
そして、そういった学者はマスメディアに顔を出さしてはいけない。

もっと多くの、学者や誌者、評講家を批判てきる人材が必要だ。


 空に雲がある、たまたま鳥が飛ぶ。しかして、草々がざわめき立つ。蓬はただ海、黄金色の。乾いた風が唇をなめる。赤い空。紅い陽。・・・丘の一日


 辺りに人はいない。二人、で・・・愛する者、と、一組。気が止よる。


 昨今、妙に死について色々と悩む。生きる欲以外が失せってしまったからだろうか。

 私が求めるものは特に無い。惚れた者もいない。愛するものは心に有り・・・


 一つの理論

 自己という精神は、常に更新されている。たとえ間があこうとも、記憶さえ残れば自己は蘇生する。だが決してもとの自己と異なることはない。白己は記憶によって作り上げられるからである。たが、これには一つ条件がある。それは脳細

 胞の記憶要素が生きていなけれぱならない。記憶喪失とは記憶要素との結びつきが何らかの原因で無くなってしようことである。


 燭はいずれ消える。


 もし、ルイス・プニニュエルの[昇天峠」を見なかったら今の自分は無い。


 一時、幸せであっても、次の暖間は不幸かもしれない。

 この世の時問の最小単位を”一瞬”とすれば、次の瞬間に対し100%はあり得ない。
 いま一瞬が白分の生であり現実であり、次の暖間はまだ末来である。

 つまり夢の一種である。


 暇なのは、自分の未来が知り得ない物てあるからだ。


 愛とは何か説明てきる人は素晴らしい。


精神の理論

意繊は常に大脳に収められている記憶を元に造り上げられる。

 一瞬を最小単位とすると、その一瞬の度に人の意識は変わりゆく。

たとえぱ長く考え事をする。一瞬が処理出来るのは、インパルス数個(その考えに関係有るもの)が1サイクルする分だけてある。そのため、書き出された記憶の並ぴにより、まとまった考えに成る。

時として、そのサイクルや並ぴが狂い、ほんの今まて考えていたことが忘れ去られる。これは夢から覚めた時に似ている。

記憶が無ければ意識は造れない。記憶喪失とは、サイクルに必要なアドレスがずれてしまう事で、その状態で造られた記憶は、回復した時、元の記憶に併合されたりする。

眠りに着く時、そのサイクルは止められる。そして、たまに記憶の整理をするサイクルが働く。その時何年も前の記憶が蘇ったり、同じ夢を見たりする。うすら寝て、意味のない考えや計算をするのは、このサイクルが働いているためである。

そのため、大脳が死ねば、サイクルは停止する。

脳死であっても、場合によっては意識だけ働くかもしれないが、サイクルの一部が狂っでいるため、行動に移れない。


芸術とは、一般大衆の理想、夢と現実との境界を漂うことであり、どららかに大さくずれると、時として犯罪となり、価値のない物となる。


凡人が、梧りを開けば、後に残されるものは虚脱だけである。


時に人は自分の一生が夢であれぱいいと、そう思う。でもそれは真実かもしれない。泡のように次からつぎへとうまれる夢を見ているに過ぎないのかもしれない。


在りし日の ただならぬ事

見ずして、語らず

心忘れる事ならずに ただ、身を潜める。


「ねぇ、光を下さい。」

「えっ、光」

「そう、ただ直に私を導いてくれる白い光。」

[だが、それはお前の望み。決して現実にはならない。」

「ええ、だから私は比処に居るの」

「ほう、夢だけは確実に現実を呑み込んでくれるからか?」

「そう、このベッドの上に。」

「でも、寝ていては光は見えまい。」

[いえ、私は眠っているから大丈夫。」[それに、暗ければ暗いほど弱い光も、より明るく見えるから。小さな温もりも、より暖かく感じるから。」


「心の穴が鳴いている。虚脱と云う風が吹き抜ける。」

[本望無き身に蛆の糧、ともに腐れ去るもの。」

「心の深き谷、鬱屈たる泥流と地、轟く。」

「全う無き姿勢と虚空の星、ともに捕ら得ること無し。」


トイレに入った時ふと、紅茶の香りがした。何故か調べたが解せない。

そして考えた。愛飲する紅茶も所詮糞尿と変わりないのだと。


私がカラスだった時、人は私を盲と言った。それ以来私は鳥から日を抜かれた。


真理の言葉は初めて聞く小鳥の一りの様に新鮮でなくてはならない。


サイフオンの中の湯の様に、夢恋は冷めれば黒く落ちてゆく。


英雄は偽善の産物である。


男は自分にない部分を女に求め、女は自分の全てに優る男を求める。


「平面の真理と球体の真理」

大昔の宗教は、その多くが地上は平面であることを前提としている。

キリスト教もヒンズーの亀や象。日本もそうか、

なのに、マゼランら(乗員)が地球を1周したにもかかわらず、地上は平面のままバイブルに記されている。これを平面の真理とするなら、今は球体の真理を必要としているはず。なのに、球体の真理を悟って広げた者はいない

だが、球体の真理も平面の真理も宇宙の真理を解けば、いともたやすく崩れるだろう。


微光と暗雲の漆黒の中に生ける者は、

 わずかな光を求めて、その目をより進化さすか、諦めて盲になり触覚を進化さすか。

1995

 自分が造った想像が白分の能力の限界を越えたとき。その想像物が自分に成り代わるたろう。


 愛する者を求め、ただそれを心の中に造り続けた。

 今日も明日も想像し続ける。私の能カの全てを集めて繋ぐ。

 その能力は限りなく無限。虚空の様に一握りりずつ採り込み糧にする。

 我が記憶の限界まで。我が命のある限り。

 その記憶は再ぴ虚空に散らぱる。

 そして又、誰かが今の私と同じ様に一握りずつ掻き集めるだろう。

 誰かが・・

 記憶だけは、夢だけは永遠に・・・


 世に我が名が馳せても、我奢ること無し。


 女は男から様々な物を奪ってゆくが、

  男は女から一時の快楽しか得ることが出来ない。


 全ての事物に気付くのは失明してからだ。


 夢は見るものだろうか? それとも、必然的に見えてしようものなのだろうか?


 虚しさだけが今の私を抱いている。

  だが、私を晒す風が少しずつ暖かくなる。

   いままで空虚だった心に春がやって来る。

    何もしなくとも、私の心は満たされる

     人が手を出せないところで私は変化してゆく。

      私を変えられるのは風だけ。

       夏には夏の風が吹く。


 流れる時に身を任せ、せめてもの救いを探し、いつかは枯れる。


 人は自分に対して[そうでありたい」[そうなりたい」他者に対して[そうであってほしい」と云う衡動においてのみ生さる意欲を得る。

  なら、衝動のみで生きてゆけるのか、 否、

                       理性とはそう云う物である。

    理性とは何をしようとするものではない。

     ただ人の行動を抑制するのみ


 渇愛に生き、自ら前へ進み出、人思えば、常ならぬ命に吾命の不条理を憎情まれ。

                    比処に臥す。


”これは心の書である、常に生死(しょうじ)における人心移動

 人を死に導く書である、本当に死ねる所である

 人を生かす書である、生の真の楽しみを得(う)るもの

 人を悪(お)する書である、常に反対受解する者のため

 人を良くする書である、自己意識の強い者へ”



 虚空・・・無限に広がる心・冷たさ・静寂さを示す。

 虚空蔵・・つまり、虚空蔵菩薩・・・暖かく広く何をも受け入れることを示す。

 れい・・・おかみ・・・竜神の如く貴でいる心理、その力を示す。


 生簀の網は荒すぎれぱすべての魚が勝手気ままに生きる。

 細かいと魚は逃げられなくなるが、いずれそのヒレで穴を開けてしまう。

 完全に閉ざしてしまえば、窒息して死減してしよう。

 決して完全に思いどおりに生かす網を張ることは出来ない。


(リベリオンより)

 「反乱軍と言っても結局は人を殺すことしか能がないんじやないの?l

 「いいや、そうすることしか出来ない。」[例え正義の名を使っても所詮偽善でしかない、」「今までにこの世界を支配してきた先人達を見ても判るだろう。」「結局は力を持っているものが最終的に生き残ってしう」

「私達は・・・」

「この国だってそうだろう。 二十年前の紛争で独立を勝ち取ったのだろう。」

[でも、それは自分たちの民族、土地を守るための正当な抵抗よ。」

「民族だの土地だのと必要以上に誇張してしまうのが偽善だと云うのだ。」「民族と言っても、元は単なる人間でしかないんだ。どう足掻こうとも人は流れに流されるしかないんだ。」

「勝手すぎるわ、幾ら人だからって目的を持たずに流されるだけなんて。」

「俺もかつてフルトの仇を討つための戦った。」「だが気づいたんだ。仇なんかの根みは決して戦う理由にならないと。」「そして今は新しい目的が或る。」[廃ったスヴェト共和国を再生さす。そのために俺たちは戦っている。

スヴェトは無政府状態だ、誰が指揮して統率しているのかも解らない。そんな国に支配されているんだ。」「君は耐えられるか。」

「勿論耐えられないわ。自分たらの正論が上に届かない国なんて。」 「でも、力で・・そうね、この国も結局は力で独立して、貴方の言う偽善を楯に・・・」

「俺は別に君の国を批判しているわけじやない。」「俺は素晴らしいと思うよ。ここは完全な法治国家だ。其にこの辺境の地にも君のような人材がいる。」

「私は特別よ、決して全ての人がそうだとも言えないけど、」「私の知識は父から護り受けたもの。」「私はただの住民でしかないわ。」


(ベリオンより)

いまこの世昇は「赤」と「青」の二つ。

完全に青に染めることは出来ない。まして赤に染めることも。

ならいっそう紫に染めたらどうだろう。

そうしたら幾ら赤を流し込んても決して完全な赤に成ることは無い。幾ら赤が混じっても其は紫でしかない。

でも逆に完全に青にする事も出来ない。

でも紫には違いない。


 唄を忘れし鳥は、虚空の涯てへ飛ぴ去り

  声をなくした鳥は、陽の竈に吾が身を投ず。

   翼をなした烏は蛇の糧となろう。

    足をなくした鳥は、海へ我が身を投ず。

 目をなくした鳥は、烏となり闇雲に糧を得る。

 嘴をなくした鳥は飢え、渇き、枯れ果て、骨となる。

 鳳凰に歯向きし鳥は、陽より得たる矢にて焼かれる。

 鳳凰を討ちし鳥は、地を迫われ虚無を彷徨う。


 私の残りの生涯に喜ぴは一つも用意されていない。

 私が私である誇りを一度たりとも捨てたことは無い。

    我が生涯の誉れである。

 私は死しても何も残さないだろう。

   悲しみ、財、名。

   他人が評価するのも私の生きていた事実だけであろう。


 血よりも深き紅に成る。

   炎より恐ろしいものと成ろう。


 何もが苦しいわけでは無い。

  何も感じないのが一番の苦しみだ。

       悲しみ、喜び、愛、別れ・・・・


(けんけんひきゆう)たるは己が利と成りうるものか。


 全ての事象は偶然でしかない。

 私が比処に居るのも。人として存在するのも。

   人が三つの色を持っているのも。

    地球があるのも。太陽系があるのも。

    銀河があるのも。宇宙が誕生したのも。

 この世にある必然性は始まりと終わりだけだ。

 争い、命、宇宙、光にも。


 歩くだけ、

  今は歩くだけ。

   私の前に開かれた道を

 道がなくなれぱ作ればいい。


 奇跡は条件を課する権利がある。

  奇跡は代償を要求する権利がある。  (ボルヘス)


1996


 一筋の光明も、それを受ける物がなければ闇から抜け出せない。


 遅かった、時間が経ちすぎた、

  もう遅い、あの時でなけれぱならない、

     今ではもう手に入らない、

 何もかもが悔しくて侮しくてたまらない、

    自分の周辺の全てが悔しい、

  もはや破壊欲しか残らない。


 何故烏の目はまっ黒なのか?それは仲間にくり抜かれないためである。


 心の中のどこかに死に対する恐怖があれば人は変わってゆけるだろう。


 ある日出会えることを信じ生きている。

  愛に尽くせる者、愛が尽きる時、愛を尽かした日に

   君は現れる。その名は愛尽(あづく)


 桜の花は毎年同じように花を咲かせる。

  だがその花は去年の花と同じてはない。


 日々刻々時限爆弾がカクントダウンする。

 心臓と去う名のタイマーが、

 日々刻々人の創造を支える。

 日々刻々変化を刻む。

  止まる時は死を意味する。

   止まらないに越したことはない。


 象の心臓 鼠の心臓、同じ生命、死、 私には解せない。

 死に向かって、生き、はては無。  なのに生きるのは何故か、

  遺伝子を残すためだけに生きてゆかねばならぬのか、


 今日生き抜ければそれでいい。明日のことは明日眼が醒めたなら考えたらよい。


 ノルニル

 ウルズ、ヴェルンディ、スクルド
 過去現在未来を示すその名は
 ひとの運命を決する女神達
 子は ノルニルが紡ぎだす産着をまとわり
 この世になす術を暗示する
 この子達の運命に一切の仮借はない
 子は大いなる流れの一つに過ぎず
 流れは子の意には適わない


 聖なる三姉妹に祈れ、己の過去を、現在を、そして未来を
 己の道を委ねよ。紡ぎだされるファタに従え。
Pray to the holy sisters. Your Past, Present And Futuer
Trace your road. Understand the 'Fata(Fate)' she nit.



 WOOPHY

 不動の山、永遠の陽、漆黒の闇
 万物を創世しものの手に
 滴る血より生れしものか
 かつて森や山が彼らのものであったように
 人の畏怖と崇拝のよりどころであったが
 これもまた、人に克され
 人に流れる古の記憶に潜む


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