僕は高校の頃からNewtonという科学雑誌を読んでいた。
そこには科学はもちろん宇宙の事、地球の事、果ては古代遺跡の事までが記事として書かれていた。
今回はその中でも、宇宙の事を色々読んで思ったこと、考えたことを思い返してみたり・・・
今ではそれは僕の中では僕の行動理念の一つとなっている。
それはつまり、「この広大な大宇宙の営みに比べれば、人間の存在なんてなんて小さなものなのだろう」と、言う事。
知ってます?宇宙の時間のスケールって。
百年、千年、万年な単位なんですよ。人間の歴史すらすっぽりと収まってしまう。それほどまでに大きな宇宙。
その実際の大きさも今の人間の"目"では計りし得ないモノであることは言うまでも無いでしょう。
・・・なんて事を考えたら、僕たちの抱えている悩みや、想いが果たしてどれほどのもなのか?
人間というのはどうして自分の目で見たり、感じたりする狭い範囲で左右されたりするのか?
そう思うと、人間の存在なんて無くても良いように感じたり・・・だって、そんな大宇宙に与える人間の影響など、いかほどのものか。
でもこうも思う。
「じゃぁ、何故人間は生きているの?」と。
まぁ、実際生きちゃってるものは仕方ないので、そんな事は置いておいて。
でも、空間があり、有機物が育つ環境にあればどこか必然性を帯びたもののようにも思う。
むしろ、「何故生きているのか?」ではなく「何を目標に生きているのか?」と考える方が正しいように思う。
まぁ、これに関しては又次の機会にして。取りあえず今は大宇宙の話に戻して。
じゃぁ、生きちゃってるものは仕方ない。それも、途方もなく大きな宇宙の中で。
でもここで「だからって、人間の存在、感情、悩み、それらをないがしろにして良いのか?」と思う。
答えは「No!」だろう。
やっぱり僕たちは生きている。この宇宙の中で小さな社会を作り、更にその社会すらを大きいと感じる僕個人や大勢の個人が居る。
所詮人間の尺度何で数メートル、数時間。
でもその中で生きる僕たちには、それなりに大きなものだ。
それでもやっぱり、宇宙の大きさを知り、人間の小ささを知れば、人間の悩みなんて宇宙の営 みに比べれば瞬きするよりも一瞬で過ぎ去って行ってしまうものだと思えば、大きな心で受け止められるようになるだろうし、一時の悩みで動揺してしまうことも無いはずだ。と思う。
結局はそう言うこと。