次の日の朝。この日もコリアンダは朝日の昇るころに目が覚めた。まだ少々眠たい目をこすりながらベットを出る。
 陶器で作られた小さなベルをチリリン、と鳴らす。すると、重々しいドアを開け、侍女が一人寝室に入ってきた。
「おはようございます。」
 彼女にしてみれば、日常の慣れた仕事の一つである。当然の様にベットを整え、クローゼットを開け二・三着のドレスをコリアンダに見せる。
「今日は暑くなりそうですか。」
「今日も良い天気でございますよ。暑くなりそうですよ。」
「では、涼しげなのを頼みます。」
 そんな応答が交わされた後、適当に選び出してきたドレスをコリアンダの所へと持って来る。
 コリアンダがそれで良いとうなずくと、いつも通り着替えが始まる。毎朝の侍女にしてもそうだが、コリアンダにしても日常の慣れた仕事であった。
 それも終わり一区切りが着いたところで、侍女がカーテンを開け窓を開けた。
 滞っていた部屋の中の空気が、一気に外の新鮮な空気と入れ替わる。
しかし一気に駆け込む風は、部屋の小さなテーブルの上に束ねてあった紙を、バラバラと吹き散らしてしまっていた。
 それを見て侍女は慌てた様に、吹き飛んでしまった紙を追いかけあたふたと部屋の中を駆け回り始めた。
「すみません、姫様。すぐに片付けます。」
 侍女はそう言って四散した紙をかき集める。
「かまいません。」
 そう言って開け放たれた窓をふと見たときコリアンダはドキッとした。
 窓から見えるブナの木は、朝の風に葉を揺らしているのだが。その葉の向こうには、またもや昨日と同じく黒い人影がチラチラと見え隠れしているのだった。
 ゆれる枝葉の向こうでは、風になびく金色の髪が一瞬、見えた。
 侍女はあいにく、まだ床を駆け回り飛び散った紙を拾いまわっている。
 コリアンダは何故か彼女には、この事がばれてはいけない様な気がした。
 侍女は紙を拾い集めるのに一生懸命で、外の人影にまだ気付いてはいない、外の金髪も何をしているのかこちらに気付いている様子はなかった。
「ジェシカ、コーヒーを一杯。持ってきてくれませんか。今すぐに。」
 落ち着きをはらった声で、侍女に注文する。とっさに考え付いた方法がこれだったのだ。
「すぐですか。」
 ほとんど集め終わった紙の束を抱えながら、侍女が聞き直した。
「はい、すぐです。それの残りは私がやっておきますから。」
 窓が侍女に見えないように、少しずつ移動しながらコリアンダは言う。
「ですが、姫様にこんな事を……」
 不思議そうに答える侍女。
「かまいません。それくらいは自分でやりますから。」
 半ば侍女の言葉をさえぎるようにコリアンダは言った。
「そうですか。それでは。」
 侍女はそう言って、今まで集めた紙の束をテーブルの上に置き、首をひねりながら部屋を出ていった。
 コリアンダはそれをしっかりと見送った後、ゆっくりと扉を閉め窓に歩み寄る。
「またそんな所で。貴方は何をやっているのです。」
 今はゆっくりと流れ込んでくる朝の風を頬に受け、コリアンダは外の男に話し掛けた。
「おはようございます。」
 男は東の空を眺めたまま返してきた。
 そんな男の態度にコリアンダは少し頭にきた。
「こっちを向きなさい。」
 少しきつく言うと、男はようやくコリアンダの方を向き直って、言う。
「おや、今日の服は昨日よりずいぶんサッパリしましたね。」
「当然です、昨日のは特別なパーティー用で、今のは普段着ですから。」
 まったく反省の色の無いこの男に、半ばあきれながらも、つられるように答えてしまっているコリアンダだった。そんな自分に少々戸惑いを見せるコリアンダをよそに、男は次にこんな事を言った。
「しかしそれでももう少し……私としましては昨日の朝のほうが……」
「あれは寝巻きです。」
 慌ててこう返す。
 コリアンダの顔は真っ赤だった。兄にも余り見せた事の無い寝巻き姿を、この何処の者とも知れない男に見られていた。と言う事を、いまさらのごとく思い知ってしまった。
 コリアンダは恥ずかしさの余り、黙りこくってしまった。
 男はそんなコリアンダをしばらく見つめていたが、それも程々にまた東の空に目を向けてしまっていた。
 朝ももっと早くには霧が出ていたのか、今はわずかに残るだけだが、その残った小さな粒子に太陽の光が反射して、キラキラと光っているようだった。
 しかし、コリアンダはそんな事よりこの男の態度に、次第に腹が立ってきた。
「こっちを向きなさい。どうして貴方はそんなのですか。」
 そんな気持ちは言葉となって現れる。男はびっくりしたようにコリアンダの方を振り返り、きまりが悪そうに謝った。
「すみません。なんかこう言うのに慣れなくて。」
「私も慣れてなんていません。しかしそれでも、この私より遠くの朝日ですか。」
 コリアンダには、一国の姫君であると言う誇りもある。それもあってかこんな事を言っていた。
 それには男もきいたらしく、頭を軽く掻きまた謝った。
「すみません。でも本当に綺麗なんで、朝のこの景色って。」
 この言葉にコリアンダはまたあきれた。しかしそれにつられるようにして、東の空に昇る太陽を見た時、不覚にも(綺麗だ)と感じてしまった。
 もう一度男の方を見た時、その顔はやはり東の空を見つめていた。
 (これは、こういう男なのか)そう感じたとき。遠くの方から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
「おいっ、新入り。どこへ行ったんだ。」
 その声は、庭師の長の物だった。
「やばい。親方が怒ってる。」
 男はそう言って、慌てて木を降りて走り去ってしまった。コリアンダに挨拶もなしに。
 屋敷の角を曲がり消えていく男の姿を見送ったとき。コリアンダの寝室をノックする音が聞こえてきた。さっき頼んだコーヒーを持って来たのだろう。
 コリアンダも慌てて振り返り、それに答える。
 部屋に入ってきた侍女は、コリアンダの何処かいつもと違う振る舞いに不思議そうな顔をした。そんな侍女に対してコリアンダは、「朝日が綺麗なのでつい……」、と自分でも不思議に思ってしまう様な事を言っていた。
 入れたてのコーヒーの湯気が、緩やかな空気の流れに、緩やかにゆれていた。