北海道大雪山系登山紀行1999.10.06

1994年7月の登山日記より
この文章は1994年7月上旬に大雪山系を訪れたときの記録である。

これが初の本格的単独山行となる。山中で3泊することにした。
当初の計画では銀泉台から大雪山系に入りトムラウシを往復することにしていたが、この計画は途中で変更されることになる。

アプローチ
東京→(電車)→旭川→(電車)→上川→(自転車)→銀泉台
登山
1日目:銀泉台→赤岳→白雲岳避難小屋
2日目:白雲岳避難小屋→忠別岳→ヒサゴ沼
3日目:ヒサゴ沼→トムラウシ山→ヒサゴ沼
4日目:ヒサゴ沼→沼の原→(自動車)→大雪高原温泉
→(自動車)→銀泉台
5日目:銀泉台→(自転車)→帯広

  • 昼過ぎに北海道のほぼ中央、上川町に到着。 激しい雨の中ずぶぬれになった登山者がバスでやってきた。こんな天気の日は出来ることなら山など登りたくない。 駅の軒下に張ったテントから外を眺めながらぼんやりとしていると駅前ロータリーにとまっているワゴンからいかにも登山者といったいでたちの兄ちゃんがこちらのほうへ歩いてきた。山に登れずに雨宿りをしているのがわかったのだろう。しばし、その兄ちゃんと話しをする。
    なんと、ここ1週間ずっと晴天に恵まれず、日高から車でやってきそうだ。日高山脈縦走の予定が晴天に恵まれないうちに休みも残り短くなり残りの休みで黒岳の石狩川を挟んで対峙する山に登り大雪を見るのだといっていた。日高ではやはり熊は出るんですか?と聞いてみたところ、日高で一度熊にあったが、じっと見ていたらいなくなってしまったという話しをしてくれた。

  • 自転車に荷物を満載して上川駅を出発。2年前を思いだす道だ。 層雲峡の手前で霧雨がひどくなり、ケーブルカー乗り場で休憩。 これから登る人達、登山を終えた人、多くの人でケーブルカー乗り場はかなり混雑していた。 ここから黒岳山頂まで登ると登山はきわめて楽なのだが、なんとしても高山植物の宝庫と呼ばれる銀泉台から登りたかったのでふたたび自転車で銀泉台を目指す。途中で国道を右に折れるとそこから銀泉台までは15km全行程がダート(砂利道)だった。途中何回か車とすれ違ったが自転車を必死でこいでいる僕をみて不思議そうな顔をしていた。かつては登山者のためにこの銀泉台まで夏の間だけ定期バスが走っていたらしい。今、大雪山系を登ろうと思うとさっき休憩した黒岳ケーブル乗り場、または旭岳の麓のロープウェー乗り場までバスを利用するか周辺の登山口までタクシーか自家用車を使うしかない。11時ごろに銀泉台の山荘についた。駐車場で北きつねを発見。人に完全になれきってしまっている。野生動物はちやほやしてはいけない。
    ここまで来るのにかなり汗をかいたので山荘の食堂件休憩所でお茶を飲み休憩。12時を少し回った頃小屋の管理人にこの周辺でテントを張ってキャンプをしたいのだが駐車場の端にテントを張っても良いだろうかとたずねてみると
    「ここはむりだよ。上まで行かないと。」
    とあっさりと撃退されてしまった。国立公園でテントを張るのはとても大変だ。キャンプ指定地以外でテントを張るのは禁止されているのだ。誰が、なんの権限でこんなことを規制しているのかと考える多少頭にも来るが管理する側にしてもそれなりの事情があるのだろう。こんなところで管理人と喧嘩をしてみてもどうしようもない。結局2時くらいから上の小屋を目指して登る人もいると聞き仕方なく登ることにした。自転車はとりあえず預かってもらうことにした。(あずけるといっても看板の下に止める「許可」をもらっただけだが)すると小屋のおばさんが
    「キツネに食われるから食べ物のある荷物は預るよ。」
    いってくれてた。人間がえさを与えるために狐はすでに野生とは言えないのかもしれない。食料の一部を残したサイドバックと自転車整備道具の入ったフロントバックを預けることにした。
    いよいよ登山開始である。
    上川からここへ来るまでに空にしたペットボトルに熱いお茶を1リットル入れてもらった。当たり前のことだがお茶はまだ熱く、ペットボトルは変形してしまった。このお茶も含めて水、ガソリンなどかなりの荷物だ。大型リュックサックが肩にずっしりとのしかかってくる。 以前トムラウシ山を目指したときは何も知らずに一度だけ生水を飲んでしまったが、北海道に生息する狐にはエキノコックスという寄生虫がいるらしく生水を飲むのはかなり危険だったらしい。発病は数10年後になるらしい。内臓を食い荒らされるが薬で殺せるものらしい。今回は水を2リットル持ち、さらに調理に使う場合には必ず煮沸することにしている。
    ちょうど小屋から出ようとしたときにうしろから5人組が登ってきたので自分が最後じゃないというくだらない理由ですこしだけ安心した。 すぐに林道は切れ、登山道に。天気も良くなってきていた。ひくく垂れ込めた雲の上に出たようだ。 登山道の脇できつねに会い、30分くらい一緒に歩いた。餌をもらえるものと思っているようだ。
    歩き始めてすぐに雪渓があった。周りに比べてすこしだけひんやりとしていて、雲の切れ間から見える青空と深い山に感動した。
    いくつか小さな雪渓を超えてほぼ中間点だと思われるところで、このぶんだとかなり余裕をもって山小屋へ入れるなと写真をとりまくってたら、下山してきた人に、「まだまだ遠いぞ」、と脅され焦った。ここですれ違ったメンバーのうち1人は東京:八王子の人であった。(当時僕は八王子在住)こんな山奥で同郷の人に会うとは
    彼らの忠告を受け少しだけ足を速めようと思ったが背中の荷物は一歩歩くたびにずしりと肩にのしかかり思うようにスピードが上がらない。それも当然で、水2リットル、お茶1リットル、ガソリン1リットル、ガソリンコンロ、炊事道具、1週間分の食料、テント、寝袋、ととにかく荷物が多かった。しばらく登るとコマクサ平についた。
    コマクサが多いことからこの名前がついたらしい。本州の山でコマクサを見ることは今ではきわめて困難で、たまに見つかっても数株程度のちいさな群落で周囲に柵がめぐらせてあったりするらしい。コマクサ平と言う名前から一面の大群落を想像していたが、期待に反してコマクサは少なかった。それでも、登り始めてわずか数時間でこのような高山植物の宝庫があるのだから、きちんと保護しなければすべて盗掘されてしまうだろう。




    4つ程雪渓を登ると、赤岳山頂に到着。山頂周辺は小さなお花畑のようで岩陰には数多くの高山植物が咲き誇っていた。コマクサ平よりも遥かにはなの種類も多いし群落も大きかった。しかし、後日この程度の群落は大雪山系の中では小さいほうであることを見せ付けられることとなる。登り始めた時間が遅かったため日はすでに傾き始めている。夕日に照らされる山々はあまりに美しくこれまでに経験したどんな景色より雄大に思えた。山腹に残る残雪と周囲の草木が夕日に照らされ絶妙のコントラストの風景が目の前に広がっているのだ。
    しばし、時間も忘れその景色を堪能する。だが、こうして景色を眺める、いや、くぎ付けになっている間にも日は傾き、深い谷間は暗い影に覆われていく。僕よりも後ろにまだ登ってくる人がいるのは分かっていたが日没後に行動するのは危険を伴う。このあたりは比較的アクセスが容易であるため熊と遭遇する可能性が低いとはいえ、道に迷う可能性もあるので今日のキャンプ予定地である白雲岳をめざし、歩き始める。赤岳山頂付近からは平坦な道が続き、登山道の脇に広がる高山植物を眺めながら歩くとそれまでの疲れも忘れてしまった。
    ガイドブックにもあったとおり、このあたりはまさに高山植物の宝庫だ。コマクサも多い。しばらく平坦な道を歩くと白雲分岐に着いた。日暮れまではまだもう少し時間がある。今日の目的地の白雲小屋もここまでくればもうあと一息だ。立ち止まり小休止していると旭だけ方面から一人登山者がやってきた。これから白雲小屋を目指すというのでお互い写真を撮りあい、雑談の後白雲小屋目指して今日最後の雪渓を下った。小屋に着いたとき、ちょうど日が暮れた。とはいえ大きな山腹の影に小屋があるのでまだあたりは明るい。小屋で寝ることも考えたが天気が良く、テントサイトの一角に程よい場所を見つけたのでテントを張ることにした。雨さえ降らなければテントは快適だ。風が少し強かったので大き目の石ばかり20個ほど拾ってきてフライシートとテントの隙間に風除けを組むと風切り音も静かになり快適な寝床が出来あがった。夕飯にはラーメンを作り、徐々に暗くなる景色を眺めながら食べる。たんなる中華三昧だが、味は格別だった。
  • まだ薄暗いうちに起床。 空気が澄んですごく気分が良い。 長袖Tシャツ、トレナー、ウィンブレでも寒い。 もうかなりの人がおきていて。出発準備をしていた。 日の出の写真をとっていると遠くにトムラウシがくっきりと見えた。 今日は白雲岳でもいってこの辺を散歩してようかと思ったが、 やはり2年前行けなかったトムラウシにはどうしても行きたかったので トムラウシに向けて出発することにした。 といっても準備は何もしてないので朝食のラーメンを作って、荷作りしてとのんびりしていたら まわりの人々はほとんど出発してしまった。 7時頃やっと出発。 キャンプ指定地を出てすぐ「リス」を見つけた。 あまり人をおそれていない。 なれてしまったのだろうか? スレート平までは雪渓を下りながら進む。 振り返ると白雲岳がそびえ立っている。 スレート平は南側が断崖絶壁で、北になだらかに続いている。 あちこちにコマクサがあって、他の花もいっぱいさいている。 道標のケルンもいくつかあった。 ここのコマクサはコマクサ平なんかよりずっと多い。 ここでおおくの人を追い越す。 目指すトムラウシはまだ小さい。 しばらく歩くと若夫婦を追い越した。 「ずいぶん速いね」といわれた。 そういえば、この人たちはとなりにテントを張っていて、早々と出発していた ような気がする。「ヒサゴ沼まで行く」といったら 「同じだね」といわれた。 早くついたら、荷をおいてトムラウシまでっていったら驚いていた。 道は平坦で時々up downがあった。 忠別岳への最後の登りは傾斜は緩いが、日差しが強く、少しバテテしまった。 コンデンスミルクをなめまくった。 ここで、じーさんを追い越したが完全にバテていた。 つかれてしまったのでとりあえず忠別小屋に行こうと思っているらしい。 やっぱりばててしまうと山登りも面白さが半減してしまう。 忠別岳では、北が断崖絶壁になっている。 下が見えない程、切り立っている。 オー恐。 ここまでやってくるとトムラウシもだいぶ近付いてきた。 五色岳、化雲岳も良く見えている。 ここで、のんびり休んでいると若夫婦に追い付かれてしまった。 「ずいぶん長い休憩じゃない?」といわれた。 風も強く、少し涼しくなってきたので、下ることにした。 まずは急坂をぐーっと下りる。 ここで、ハプニング。 傾斜が緩くなって歩いているとだんだん道が狭くというか、足跡が薄くなってきた。 あれ?と思って地図を出して回りを眺めるとどうも様子が違う。 よくみると、このあたりには廃道が1本あって、高原温泉への道がある。 前に、見えるはずの五色岳もない。 化雲岳の頂上の石を探し、方角を確認したら、90度違う方向に歩き始めていた。 すぐに気づいて良かった。 すこし、戻り正しい道を歩く。 しばらく歩くと忠別小屋分岐につく。ここから1時間くらい登ると五色岳山頂。 はい松がうっとおしく、荷物が引っかかり歩きづらかった。 ヒーヒーいいながら登ってるとふと頂上についた。 ここでまたしばらく休む。 足が結構つかれた。 少し休み化雲岳に向かう。 歩き始めるとドスンという物音がして焦ったが、人だった。 途中、花が結構さいていた。 化雲岳からの旭岳の長めはとても良かった。 ここで、天人峡から登ってきたおばさんに会う。 つかれたので、トムラウシは翌日にすることにした。 ヒサゴ沼までの雪渓は踏み跡が消えていたので2年前と 同じように下りていった。踏み跡に上陸したが、また雪渓に出てしまう。 沼に直接雪渓が落ち込んでいて、そこから沼沿いに歩く。 懐かしい。 小屋はガラガラで1人しかいなかった。(まだ2時) 昼飯にパンを食う。 すぐにおじさんが下りてきて、さっき追いぬかれた2人とあって話しをしていたらしく 僕のことを知っていた。 いろいろ話しをしていると、レギュラーコーヒーを御馳走してくれた。 山でこんなものを飲めるなんて超ラッキー。 しばらくするとガスが濃くなってきて、例の2人が下りてきた。 さっきの雪渓でまよい、登り直してきたらしい。 そうとうまいっていた。 しばらくして、若いカップル2人とじいさん連中が2人来た。 夜はご飯を炊いて親子丼。 例の2人とおじさんと一緒に話しをしながら食べた。 おばさんは早々と食べていた。 翌日、皆トムラウシに登るらしい。 夜は9時頃寝た。 天気予報ではあまり天気が良くなかった。
  • 朝はラーメン。 昨日ここに来た人はほとんどトムラウシに登るらしい。 ヒサゴ沼に落ち込む雪渓の上が通れないので、山腹を斜めに歩かなければならない。 じいさん連中2人が出発して30分くらいして出発。 布の袋に、水(紅茶)、おかしを入れて歩き始める。 あっというまに2人に追い着く。 雪の上はけっこうつるつるで少し恐かった。 雪渓を登りきるとガレ場を少し歩き分岐点。 少し登ると平坦なところに出る。 2000mの稜線上とは思えないほど穏やかで歩きやすい。 所々に、沼があり、そこには雪も残っていた。 風か強く、飛ばされそうだ。 ところどころ急な登りがあり、少しこたえたが、トムラウシが近くなって きたとき、すぐ目の前に北沼が見えた。 沼の回りには半周以上雪渓が残っていてすごかった。 風が強く沼になみが立っている。 ちょうど沼のふちを歩いていると突風がふき、水しぶきを被ってしまう。 ここから斜面をぐんぐん登っていく。 風が直接あたり、本当に飛ばされそうだ。 頂上にはそれからすぐに。 トムラウシ温泉から登ってきた人がいて、写真を撮ってもらった。 十勝岳方面の眺めは再考だった。 旭岳は雲の中、石狩岳方面もきれいだった。 あまりに風が強く、寒くなってきたので下りることにする。 沼まで下りる途中でおぞさんに会う。 雪渓を横切ってきたそうで、すごく早くついたらしい。 岩影ですこし話しをして下りる。 こんどは、沼でじいさんに会う。 若い方がつかれているようだった。 沼から少し登ったところで若夫婦に会う。 寒いねといっていた。 また、下り始め、急な下りにさしかかったところでおばさんに会う。 けっこう疲れ切っている様子だった。 その後はぐんぐん下り、景色を楽しみながらヒサゴ沼に。 小屋には若いカップルがいて、雪渓に遊びに行くところだった。 昼メシのパンを食べているとおじさんが戻ってきた。 空荷なら往復4〜5時間ってところだ。 夕方になるとツアーのばあさん連中が大挙してやってきた。 若いインストラクターがお茶の用意までしている。 その後、登山クラブらしいおっさんがやってきた。 一人は完全におわっていて、倒れ込むようにして寝てしまった。 夜はカレーを食べた。 なにやら、今来たメンバーは明日、トムラウシに登りそのまま下山するようで7時に寝てしまう。 このころから急にガスが出て、これまで以上に風が強くなる。 明日の天気が心配だ。
  • AM4時頃から人が動きだし、目が醒める。 外は真っ白で風も強かった。 前日のぼっていて良かった。 天人峡まで下りて、バス、タクシーで銀泉台に戻ろうと思っていたが、 思いもよらず、おじさんが沼の原から車で送ってくれるというので ありがたく、沼の原から戻ることにした。 なかなか天気が回復せず、連泊かなとも思っていたが、10時すぎに霧も晴れてきたので 出発することにした。 小屋に前日泊まった人は、もう、皆出発した後で、静かな小屋だなといる感じだった。 ほうきで小屋を掃除してからいよいよ出発。 まずは気尾ぬ下った雪渓登り。 霧が晴れたといっても、まだすこしガスがかかっているので、100m 先はあまりよく見えない。 ほんとうに大きな雪渓で、10分くらい登ってもまだ先が見えない。 しばらくすると、右も左も前も後ろも真っ白で何も見えなくなってしまった。 足跡も、1日たつと消えてしまうようで、こんなとこ道知らなきゃ 絶対歩けないよっていう感じだった。 道知ってても一人じゃちょっとやだな。 かれこれ1時間ほど歩くとようやく緑色のものあ見えてきた。 雪渓の最上部だ。 すぐに、本来の登山道に出た。 そのおじさんによると普段はこんなには雪は残ってないらしい。 このあたりはちょっとした湿地帯になっていて、高山植物の 黄色、紫色がきれいだった。 おとといはこれ程ではなかったので、昨日1日でずいぶんと花開いた のだろう。 高山植物の生命力をなんとなく実感してしまった。 しばらく歩くと、小さな雪渓がまたあった。 まだ、少しガスがかかっていた。 雪渓をあるきはじめようとした時、雪渓の反対側に黒っぽい影が見えた。 少し、動いていたのでもしかして...と思ったが人だった。 やはり、そう熊には会えるものではないらしい。 五色岳の山頂で少し休んでまた下り始める。 しばらく下るとまた雪渓あった。 今度の雪渓もなかなかおおきかった。 ずいぶん下っただろうか? 半袖で歩いている人とすれ違った。 下界は熱いのだろう。 そういえば、前の日トムラウシに登った時も、遠くまで晴れ渡って 風がメチャ強かったが、ニュースによると35度くらいまで上がったところもあったらしく、 道内各地で30度以上を記録していた。 雪渓で、なきうさぎの死骸をみつけた。 10cmくらいの小さな穴に落ちて死んでしまったらしい。 可哀想だが、自然のなかで生きているうちにはこうやって死んでいくこともあるんだろう。 雪渓もずいぶん融けていて、あちこちで登山道がぬかるんでいた。 おじさんが、2日まえに来た時は、もっと雪があったといっていた。 雪渓の出口の登山道は川になっていて、轟々と音をたてて水が流れていて、 仮の登山道が川沿いにできていてやぶをかき分けるようにして川沿いを歩いた。 この水が石狩川の水になるんだな。 またしばらく歩くと、眼下に湖沼群が見えた。 沼の原台地である。 台地には沼が散在し、そして、ばっさりと断崖になって切れている。 本当に不思議な台地だ。 ここで、台地をバックに写真をとってもらう。 更に下るとまた雪渓があった。 今度のは急斜面の雪渓でトレッキングシューズだと少し滑べってしまう。 下った後はぬかるんだ急坂で、登山道脇の笹を掴みながらなんとかこけずに下った。 下り切るとちょっとした広場があって、ここで昼飯。 すぐ横の沢ではスッゲーつめたい水がながれていた。 飲むとうまかった。 何も知らずに2年前に水をがぶがぶ飲んであるのでエキノコックスはけっこうどうでもいいので 気楽に飲んでしまう。 ここで1時間くらいおじさんと話しを下。 本当に面白いいい人だなとおもった。 だったその人の兄さんの話しや、昔自転車でバイトしながら北海道を走った話し。 熊のはなし”山であった人が熊撃退スプレーがあってそれで熊を撃つ練習をしたらしく、 これで完璧といっていたそうだが、3mもある熊が動くんだよ。本当はっ っていったら ソリャダメだってあきらめた”話しは面白かったけどぞっとしたな。 十勝岳の小屋のおやじが熊におっかけられて命からがら山から下りた話しとかもあった。 熊にあっても黙ってじっとみてりゃどっか行っちゃうよって気楽にいってるから まあ、そんなもんなのかも知れないな。 日高のくまはでっかいぞっていう熊の話しなど 日高を重奏すると気は水を汲むのもザイルを体に巻いて半日は使った話し。 芦別岳のあたりは熊が多い話し。 雪がある時だと縦走できるらしい。 登山クラブには面倒だから入らないらしい。 昨日、終っていた人を見るとそんな気もする。 ばくちくなんて鳴らしたら山ん中何日でもおっかけて来たりするらしい。 あと、この沢に黄色の花の植物がいっぱい生えてて、東北ではこの花が珍しく 高級旅館とかで食べさせてくれるらしいけど、あんまりウジャウジャあるので変な気が下。 やっぱり大雪の自然はすごい!! 少し登るといよいよ沼の原台地。 すごい湿原だ。 わたスゲがいっぱいある。 大沼は乾燥化が進み始めている。 鹿の足跡があちこちについているのに交じって登山者の長靴のあともいくつかあった。 心無い人もいるものだ。 写真をまた撮ってもらった。 野兎を見た。 天然記念物になっているとんぼもいっぱいいたが写真は撮れなかった。 台地からの下りは急な下りでひざや足先にけっこう負担が大きかった。 途中、倒木ですこし休んでぐんぐん下りた。 うまそうな蕗が山のように生えていた。 スッゴクうまいらしくとった跡もいっぱいあった。 丸太の上を二回わたってしばらく歩くと駐車場でそこにおじさんの車が止めてあった。 ここで靴をぬいで親指の爪が真っ青になっているのに気がついた。 一カ月後つめはとれて生え変わったが おじさんの車にのって高原温泉へ向かう。 国立公園内の林道のはなし。 車で川をわたった話し 林道のゲートのNo.の話し。 おじさんのおいっこのはなし。 会社の人に山の中で呼ばれた話し。 道路わきの鹿の話し。 面白かった。 高原温泉分岐からダートをしばらく走ったところにあった。 予想以上に立派であった。 浴室の手前でビールを買って風呂にはいる。 疲れた後の風呂に入りながらのビールは最高。 本当にいきてて良かった。 「うまいんだなこれが!」 とてつもなくビールがうまく思えた。 しばらくゆっくり休んでから銀泉台までおくってもらった。 この辺りの釣り人は魚が多いからといって平気でやぶに入っていくようだが おじさんに言わせりゃ、命知らずで、魚が多いところには必ず 熊がいるんだぜ。って言っていた。 途中、道路沿いにある駐車場と作りかけの観光センターがあって ここ野宿するのに良いですよね。って言ったら 「やっぱそう思うか。おれもそんなに思ってたんだ。やっぱ考えること同じなんさな」 と言っていた。 山で生活すると思考パターンがこんなになってしまうのだろうか? 分岐から銀泉台に向かう。 雲の中に入った用で、少し雨のような霧のような何とも言えないじとーっとした空気だった。 銀線台で下ろしてもらって挨拶して別れた。 ここで勝手に野宿しようと思ってどのあたりなら邪魔にならないか 小屋の人に聞いたら、今は駄目だよ。って言われてしまった。 泊まるとこないんですよ。って言ったら小屋に半額で泊めてくれた。 これは、秘密。 しかもテレビを見てると味噌汁とおむすびまでくれた。 ここで働いているおばさんも面白い話しをいろいろ聞かせてくれた。 なんか一人で山登りに来ている気がしない。 おかしやら、チーズやらもくれた。 今日一日は涙が出るほど人のやさしさを実感してしまった。 こんなのがあるから一人旅ってやめられないんだよな。


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